戦争に実際に行き、最前線を体験してきた人の手記をよく読む。
ネット上で読むことができる先の戦争を体験された方の手記も相当読んだが、
先々週図書館で借りてきた本は、湾岸戦争からイラク戦争にいたるまで参戦したF-16のパイロットが自身で記した実録。
「F-16 エースパイロット 戦いの実録 ダン・ハンプトン著 上野元美=訳 柏書房」
ISBN978-4-7601-4295-8
我々がニュースなどで目にすることができる情報からは得られない実体験が書かれており、やはり迫力がある。著者の任務は、地対空ミサイル基地を発見して排除すること。衛星や偵察では発見できない地対空ミサイル基地を破壊するには、わざと囮になって、ミサイルを発射させることでその位置を確定させる。対空ミサイルの脅威に命を危険にさらしながら何回も任務遂行を行ってきた勇気とそれができるまでになるまでの訓練・自己研鑽は称賛に値する。
しかしながらこれは圧倒的に有利な状況にあるアメリカ空軍のパイロットの立場から書かれたものであり、攻撃されたイラク人はどんな状況にあるのか、我々は知るすべを持たない。報道もされていない。
アメリカ空軍で、このようなエース級パイロットがどのように育成されているかについても書かれていたが、パイロット育成、訓練の体制は、おそらく日本をはじめ他の国の同様の組織にはできないだろう。同じ飛行機を使ったところで到底及ぶところではなく、こういう面でもアメリカが世界一の地位を保ち続けているのだなと思った。
核兵器や、ハイテク兵器だけではない、軍事上の人材育成においても世界戦略があるのだなと思った次第。アメリカの「同盟国」はアメリカ人より強くならないようにしていることがはっきりわかる内容だ。
話は変わって、
死生観を考えることがよくあるが、先日本屋で立ち読みした稲森和夫氏の「考え方」というタイトルの本の中に寓話を用いたこういうう一節があった。(記憶を基に書き起こすので本文の引用ではない。あしからず。)
一人の旅人が、ながいながい、一本道を歩いていた。
旅人は、道端に白い棒のようなものが、ばらばらと落ちているのに気が付いた。
手に取って拾い上げ、見るとそれは人の骨だった。
はっとおもって、危険な気配を感じ、顔を上げると、向こうから何か大きな動物が走って近づいてくる。
それは虎であった。
この骨は虎に食べられた人の骨だったのだと気づく。
旅人は踵を返して慌てて逃げる。虎は後ろか追ってくる。
逃げ続けた旅人は、やがて海辺の断崖絶壁に到達した。
もう逃げられない。
虎は迫ってくる。
そのとき、旅人はがけっぷちに一本の松の木がそびえているのに気が付いた。
「助かった」と思い、旅人は松の木に登る。
ところが虎というのは木登りも得意だった。虎はゆっくりと木を登ってくるではないか。
もう駄目だと思ったとき、旅人は、枝から一本の蔓が垂れ下がっているのを見つけた。
旅人はその蔓につかまり下へ逃れようとする。
ところが、下を眺めると、はるか下に白波が激しく打ち付ける荒れ狂う海が見えた。
さらにそこには青と黒と赤の竜がぐるぐると渦を巻きながら旅人が落ちてくるのを待ち構えている。
顔を上にあげると、そこには松の木を枝まで登ってきて旅人をにらみつける虎の目が。
どうしようと思っていたら、頭の上で「カリカリ、カリカリ・・・」と音がする。
見ると、白いネズミと黒いネズミが交互につたをかじっているではないか。
そのときつたを握りしめる旅人の手に柔らかい液体がかかった。何かと思ったらそれは松の木にかかったハチの巣から垂れ落ちてきたはちみつだった。
旅人は自分がこんな状況にあるのも忘れて、夢中ではちみつをなめていた・・・。
稲森和夫氏の本の中では、この旅人は人間であり、普通の人のあり様を比喩的に表現したものだという。
人は生まれるときも死ぬときも一人。
生まれた時から死、すなわちここでは「虎」が近づいている。
それから逃れるためにモノや金(ここでは松の木)に執着してみるのだけれども、決して死から逃れることはできない。
黒いネズミは夜を表し、白いネズミは昼を表す。
夜と昼が交互に来るたび死が近づいているのだよと。
その現実を目の当たりにしてわかっていても目の前のはちみつに夢中になる。
愚かな存在である。
お金の問題、体の事、家族の事、健康、会社、学校、将来の事、人間関係、そして身近な人の死・・・
死にたくなるほど、生きていることは、苦しい。
人は、自分の意思で生きているように感じるけれども、
そもそも、生まれようと思って生まれてきたのではないし、
し、死ぬ時だって完全に自分では普通決められない。
だから生きている間は「生かされている」といえる。
生かされている間の時間をどう過ごすか。
それはそれぞれの人に任されている。
最初に書いた、アメリカ人のエースパイロットはどうだっただろう。
自機めがけて飛んでくる無数の対空ミサイルをかいくぐり、自分も殺されるかもしれなかった戦場から帰還するたびに「生きていることに感謝した」ことが書かれていた。
罪深い戦争ではあるが、生きていることに感謝ができるくらいに一生懸命になったものがあったのは確かだ。
人は、戦争や、不慮の事故、病気、災害で命を落とすことがある。松の木から垂れてくるはちみつに夢中になっていてもいつか落ちるか虎に食われるか。
毎日、生きていることに感謝できるように生きる。
いううのは簡単だけど、難しいものだ。
そう思いながら、今日も朝を迎えた。
9月6日の北海道地震でお亡くなりになられた方、震災で不自由な思いをされている方心よりお見舞いを申し上げます。
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