◆なんだかわからない「建国記念の日」
今日ブログを書こうと思ったら、たまたま「建国記念の日」だった。
「建国記念の日」については、奉祝、反対、様々な意見が毎年入り乱れて、必ずニュースとなってきた。そもそも日本国民の大部分はこの日が一体何の日か、正確に理解している人はあまりいないと思う。なぜなら、学校できちんと教えられてこなかったし、公的な啓蒙もあまり盛んではなかったからだ。
「建国記念の日」は、戦前、紀元節という祭日だった。ウィキペディアによるとこう書いてある。
1873年(明治6年)に、2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」と定められ祭日となり翌年から適用されたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の日本の文化や社会を徹底的に破壊して弱体化するという意向で廃止された。その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用された。
ウィキペディア
面倒くさい議論にまきこまれると大変だという目に見えないバイアスが働いて、このセンシティブな問題に対し、なるべく触れないようにしてきたのではないか。
◆そもそもなぜ「紀元節」は定められたか
しかし、この祭日を最初に作った明治6年当時の、政府の思いはわからなくもない。
明治初頭の日本は、強大な武力をちらつかせた諸外国からの不平等条約を押し付けられ、無策の状態であれば植民地化されかなないほど脅威にさらされていた。
産業を興して経済力をつけ、兵力を強くし「日本」という独立国家の形を諸外国に対して示して、対等に渡り合うことが大命題だったのだ。そのためには「日本」のアイデンティティーを明確にする必要があった。このとき、日本書紀をよりどころとし「天皇を中心とする神の国」であるという思想が日本人のアイデンティティーとされたのだ。
しかし時は流れて、日本は戦争に負けて、アメリカの統治下になり、明治政府がつくったさまざまな軍国主義的なものはすべて廃止されたのだった。紀元節も廃止された。
昭和41年に復活の声を受けて復活したが、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」ということに。「の」がついているあたりが奥ゆかしい。“建国されたという事象そのものを記念する日”ということらしい。2月11日の根拠が「神話」であり歴史的にはっきりしないし、証拠がないから「建国記念日」とはっきりした形にできないらしい。その後、半世紀以上にわたり反対の声は強く,なんだがふらふらしたまま今に至っている。
結果として、日本という一つの国にとってものすごく大事な、「国の誕生日はいつか」ということが、あいまいにされたまま、間もなく平成という時代が終えようとしている。
◆賛成反対の両方の意見、まとめ
様々な方面から賛成反対の両意見をまとめてみた
賛成派: 神武天皇建国の話が、神話だとしても、史実であったとしても、国の誕生のストーリーはどの国にもあってしかるべきである。建国の歴史はその国に生まれた国民の心のよりどころである。建国の物語そのものを自ら否定することは、自分の国を否定することと同じである。
日本という国に生まれて、自らを日本国民であると名乗る以上、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日を設けて、啓蒙することは必要なことである。
なぜなら、そういう機会がなくては、日本という国が現在まで存続できていることがいかに尊いかを理解することができないからである。
反対派: 神武天皇が即位してから日本の歴史が始まり、その子孫による統治は永遠に変わらないものだとするのは天皇中心の非科学的な歴史観である。そもそも紀元前660年は縄文時代であって神武天皇が実在しない人物であることは歴史学の常識である。
紀元節は戦後、憲法の主権在民の原則に反するものとして廃止されたのであるが、自民党政府は1967年から「建国記念の日」として復活させ、その後、「日の丸」「君が代」の教育現場への押しつけなど、憲法改悪の動きとむすびつけてきた。「建国記念の日」は、憲法の主権在民の原則に反するものである。
◆じゃあ、「建国記念の日」、どうする?
それぞれの立場のそれぞれの考え方があって、それぞれ発信をしていく世界が健全だと考える。戦争の不幸な歴史、軍国主義の弊害は決して肯定されるべきものではないが、それでも我々は日本人だから、そのアイデンティティーを確認する意味で神話上であっても建国の日を祝うというのはやるべきだと思う。
人間は生きている限りは明日を切り開いていかなきゃいけないから、そのための精神的な支えとなるものが欲しいのだ。
最近,日本は戦後の自虐史観に基づく偏った歴史教育を糾弾するといった論調が台頭してくるようになってきた。
そもそも、このブログを立ち上げた動機が、自分の聞きたい情報だけを聞いて、”エコーチャンバー”のなかに入っていってしまうネット社会が危険な空気を生み出すことを危惧したからである。
歴史観については日本と、諸外国のギャップが激しい部分でありいつまでたっても決着はつかないだろう。
結論が出ない、このような難しい議論を避けてあいまいなまま半世紀以上も過ごしてしまった。
このことはよかったのだろうか。
もっといろんな意見があっていい。
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