2018年のNHK大河ドラマ、西郷隆盛を描いた「西郷どん」(せごどん)が始まった。島津斉彬との出会い方や島津斉彬と父親である島津斉興が対立する様子、島津斉彬に洋服を着せて登場させるなど西洋の事情に詳しい様子の演出などはこれまでになかった斬新なものだったと思う。島津斉彬のキャラクターを伝えるうえでは視聴者にもわかりやすかったのではないか。
地元鹿児島での視聴率が30%を超えていたというのも、「西郷どん」にいかに期待をかけているかわかろうというもの。前回10年前2008年の「篤姫」の時より描かれる内容の鹿児島色が強いため鹿児島県民は盛り上がっている。
さてその盛り上がりに水を差しているのが、「薩長史観」なる言葉を使い、明治維新の立役者たちをテロリスト扱いしている本である。以下、今ネットに広告が出てるのをを下記にリンクを貼っておく。
明治維新の正体――徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ 鈴木壮一著
https://bookmeter.com/books/11624126
教科書でしか歴史を知らなかった人に対して、けっこうじわじわ来ているような雰囲気である。ちょっと前にはやったポスト真実であり、だまされやすいのもわかる。
長年、幕末の歴史を研究してきたまともな研究者の人たちが一瞥もしていないことからもわかる通り、フェイクニュースの類なので相手にしないのがよろしい。信じてはいけない。どうしても疑問なら図書館、博物館、現地史跡へ赴き、ちゃんと自分で調べて自分なりの考えを作ってから発言してほしい。「真相はこうだ」などというが歴史ってそもそも誰も見たことのある人いないのだし真相はわからないのだから軽々に自分の都合のいいように「真実はこうだ、みんな騙されている」的なことを言うのはやめてほしい。
さて筆者的には、島津斉彬の影響を強くうけた西郷の一生を描くこのドラマに期待感を持っている。特に島津斉彬の描きかたはよい。西欧列強がアジアを次々と植民地にしてきている事実を当時の薩摩は日本のどこよりも先に知っていた。地理的に南に開けており、島づたいに琉球までつながっていたことといたことから東南アジアや中国大陸からの情報を琉球の使節を通じて定期的に知る立場にあったということと、「蘭癖」と呼ばれた曾祖父島津重豪にかわいがられた影響も大きかったということもある。
外国船もたびたび近海に出現し、鹿児島県宝島ではイギリス人が上陸して牛を盗む事件がありそのイギリス人が役人に射殺されるなどの事件も起こっていた。生麦事件と浦賀の黒船だけではなかったのだ。なので当時の薩摩藩には危機感があった。幕府云々朝廷云々はその次の話。
「このままではいずれわれわれも西欧列強の植民地になるに違いない。日本を強くて豊かな国にしなければ。」
これが最初の動機だ。「侵略とテロが悪」というのは21世紀になった現代の価値観であって当時の日本にそんな概念はない。ただ目の前にある海の向こうからやってくる軍艦に支配されまいと必死になっていたのである。丸腰ではまったく交渉にならないではないか。
明治政府のスローガン、「富国強兵」は島津斉彬が安政5年(1858年)日米修好通商条約の締結をめぐる議論の中で幕府に書いた建白書の中に初めてその意味するところの文言が出てきた言葉である。
この建白書の中で斉彬は「大砲・軍艦など海防の備えが不十分であるため戦いを避けて締結すべし」としその上で、日本を守るため
「第一人和、継テ諸御手当」
と、海防手当などよりも人の和を大切にするように説いた。旧来の悪弊を改め、富国強兵策をとって強く豊かな国造りを目指し、身分の上下に関わらず一丸となって、海防を整えるように」と建言している。ただ海防を強化するのみならず、豊かな国造りをして、日本の人々が手を取り合って協力することの必要性訴えたのは斉彬の独特の考えであった。
薩摩のみならず日本全体のことを考え一致してを西欧列強から守ろうとしていたのだ。そこには幕府を打ち負かし自分だけが利益を得ようという邪な考えはない。そういえば、「思無邪」(しむじゃ:思いよこしまなし)という斉彬の有名な書があった。
上述で紹介した本の著者は、薩長史観を
”「勝者が歴史をつくる」ということであり、「薩長=官軍=開明派」「旧幕府=賊軍=守旧派」という単純な図式で色分けされた歴史観だ”
と断じるが、論点がちがうところにずれていると思う。いまごろになって薩長と幕府どっちに正義があったかなんて論じることに何の意味があるのだろう。
これら著書に専門の歴史研究者からなんら反論すらされないのはこういう理由があるからなのだろうと思っている。踊らされるのはネットのエコーチャンバーの中でワーワー言っているフェイクニュースに騙されやすい人たちなのだろう。
かってにやってればいい。
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