9月17日、樹木希林さんががんの発症から14年間もの闘病生活を経て、永遠の眠りについた。筆者にとっても好きな女優さんだっただけに残念な気持ちだ。しかし、なぜかこの報道にはなぜか、ひたすら悲しいのではなくて、すがすがしい印象が残った。
それはほかでもない、樹木希林さんの生きざまが多くの人に感銘を与えたからなのだろうと思う。
鹿児島まで行き、放射線3次元照射の治療を受け続けてきた。保険外診療なので莫大な費用がかかるが、それでも続けた。
樹木さんは、女性雑誌のインタビューにこたえ、
「これからはがんや病気と一緒に生きていく時代ですよ」といい、
自身のがん闘病についてもこう語っていたという。
「大丈夫じゃないけど、だいたい、これ(がん)をやっつけようとかって思わないのよ。「がんと真剣に向き合って」とかも思わない」
治らないのなら病と一緒に生きていくのだ。この考え方に学びたい。
「がんと闘った」なんてかっこいいこといって、勝っても負けても、いずれ死ぬのだから、肝心なのは生きている間をどう生きるかだと思う。
その生きている間の「生活の質」、「QOL」などというが、病院のベッドで寝ながらつらい割には効果のない抗がん剤治療をするのか、それはしないのかその選択を迫られる時が、自分にも読者のみなさんにも来るだろう。すでに来ている人もいらっしゃるのかもしれないが。
実をいうと、筆者は、母親を胃がんで、さらに妻を乳がんで亡くしている。
鬼才の大女優などではなく普通の庶民なので、「長く生きたほうがよい」などとと考え、効果のあまり感じられない抗がん剤治療を医師の指示通りに行い、2年以上闘病し本人も家族も散々苦しんだ挙句、結果として死んだ。その頃はそれが普通の治療法だったから普通にしただけの事だったのだが。
ところが、
「ほんとうに、これで少しでも長く生きられたのだろうか」
「これでよかったのだろうか」
と悔やむのだ。
「これでよかったのだろうか」なんて、その答えは、主治医もお坊さんももっておらず、残された家族は、重くのしかかる「これでよかったのだろうか」という後悔の念を抱えながらその後も生き続けなきゃならない。これは、誰に相談することも、相談したって決して解決することはない永遠の悩みだ。
人間、生きている時間に限りがあるのなら、その間を「やりきる」。やりきって後悔のないように生きよう、というのが最近の考え方だ。
だから、「安全に長く生きる」ために「さんざん苦しむ」のは少し違うと感じる。
樹木希林さんは、最新の治療法で生活の質を保ちながら、いくつもの輝かしい業績を残すことができた。見事な終末期、うらやましい生き方だと思う。
死に方 と 生き方
正反対のはずなのに、同じ意味かもしれないと思った。
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