厚生労働省が推進する「地域包括ケアシステム」
このブログでも繰り返し取り上げている。その中にこんな概念がある。
「公助」・・一般財源による高齢者福祉事業等・ボランティア活動などへの支援
「共助」・・介護保険に代表される社会保険サービス
「互助」・・ボランティア活動・住民組織の活動
「自助」・・自分のことは自分でする・自らの健康管理・市場サービスの購入
「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で生活を継続することができるような包括的な支援・サービス提供体制の 構築を目指す」
というのが地域包括ケアシステムの考え方だが、このなかで一番当てにならないのが
「公助」と「自助」だ。
まず、「自助」。
「自分のことは自分でする」ってそもそもそれができなくなるのが高齢者とその家族。
できなくなるまでは自分でしてるのである。自らの健康管理だってやりたくてもできない人もいる。やり方がわからない、あるいは健康管理が必要とも思ってない人もいるかもしれない。仕事上全く運動する暇ない人の自己健康管理。限界がある。だから、「互助」と「共助」が中心となって取り組む。
しかし、自助・互助・共助の目は「公助」に向いている。
こまったときは「公助」が何とかしてくれるはずだと思っているからだ。
しかし、今後はこの「公助」まったくあてにできない。
あてにできなくなったからこそ、こういう概念を厚労省は普及させようとしているのである。消費税の10%への上昇も近いと思われるけれども、10%にしたところで「ないよりはまし」といった程度で社会保障費の上昇はどうにもならないレベルであることは前にも書いた。http://o-pi-nion.com/?p=229
日本語の「公」(おおやけ)という言葉は「お上」「官」を意味する。厚生労働省の提唱するこの概念だってまさにそのとおり。それに対応するのが「私」であり、これは「民」を意味する。日本は、「お上」と「民」がいて、お上の決めたことに民が従う構図でこれまでずっとやってきた。お上で物事を決める人を民が決める仕組みになっても、この構図は変わらなかった。民で決めて民が実行することはちょっとでも法にそぐわないことがあると規制が入るからとためらわれる。
そんなこんなのなかで、「共助」と「互助」の概念はなかなか育たない。「共助」が健康保険・介護保険だというが、給料から天引きされて家計を圧迫するこれは「公的」なことである。「互助」だってNPO法人やボランティアや町内会が盛り上がってるかというとそうではないし、そもそもこれら互助の財源ってなんだ?。
こうして日本では「共に」「お互いに」ということが発展せず、国民全員の目はヒラメのように「お上」を見上げるばかりとなる。
公助・共助・互助・自助の概念はオランダから持ってきたらしい。オランダは海より土地が低いから何か物事を決める時の真剣みが違うという。「共に生きる」という考え方が染みついているのだろう。
これからの少子高齢化社会を考える時「公助」も「自助」もあてにならないから、ホントの意味での共助と互助はキーポイントとなるにちがいない。ホントの知恵は困ったときに出るだろう。
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